「平和」という言葉は中国語から来たのだろうと漠然と想像はしていたが、なぜ「和平」ではなく「平和」となったのか。
『Yahoo!知恵袋』で回答している方がいらした。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1033603935?__ysp=5bmz5ZKM44Gu6Kqe5rqQ
なるほど。明治時代とは、わりと新しい。この頃、「自然(しぜん)」とか「美術」とかいう言葉もうまれたのではなかったか。明治時代の人たちが頑張ったおかげで、日本人は高度な学問も母語で学ぶことができるのである。ありがたいことである。しかし最近の日本人はさぼっているらしく、英語そのままとか、英語風な和製英語を使うことが少なくないようだ。
もう十年以上前のことになるが、私は日系ブラジル人の若い女性と机を並べて仕事をしていたことがある。ある日、その人が「ノート」のことを「帳面」と言った。
私は衝撃を受けた。「ノート」には「帳面」という日本の言葉があったのだ! すっかり忘れていた。たぶん私の祖母は、あの紙を綴じたもののことを「帳面」と呼んでいたと思う。しかしいつからか誰もが「ノート」と言うようになってしまった。さみしいことである。
話を「平和」に戻す。
ロシア語で「平和」は「мир」という。
森村桂著『ソビエトってどんな国』という本がある。
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著者はテレビ番組の取材でソ連を訪れることになる。1983年。著者はソ連を「こわい」と思っている。1983年の頃の私も「ソ連はこわい」と思っていた。たぶん私のまわりの人たちも……。
著者と通訳係のソーニャとの会話。一行はモスクワの地下鉄を訪れている。著者は地下鉄内の壁画の中にある、とある文字列に注目した。
「この、МИРっていうのは?」
その同じ言葉がいくつもある。
「ミール、ミール、ミール。平和という意味です。それと、世界という意味あります」
「え、待って、平和と世界という言葉、同じなの?」
「そうです。ソビエト人は、世界が平和でなければ真の平和でないこと知っていますから」
「世界とはどういう意味? ソビエトという世界?」
「いえ、ちがいます。地球全体です」
「ソーニャ、それは本当なの? だったら世界が平和でないかぎり、ソビエトは平和でないということをソビエトの人たちは知っているということなの」
ソーニャはまっすぐ私をみてうなずいた。
「その通りです。世界が平和でなければ、ソビエトに平和ありません」
私はなんともいえない感動で胸が一杯になった。
(森村桂『ソビエトってどんな国』55〜56ページ)
実際には、この頃のソ連がとても平和だったというわけではないけれども、「平和」と「世界」が同じ単語の言語の話者、異なる単語の言語の話者では、この二つの概念の捉え方が違っていても不思議ではないと思う。最近よく耳にするようになった言葉だが、「世界観」が違ってくるのではないか。(「世界観」という言葉、昔はあまり使わなかったような? なんで今、流行ってるの?)
どの国も、自国が戦場になった時のことはよく覚えていて、あれを思い出したらもう二度と戦争は嫌だと思うものだろう。でも、自国が戦場になるわけではなく自国から遠いのなら、戦争したい国というのはあるらしい。お金儲けになるからね……。それから、研究の成果を実地で試したい人たちもいるのかもね……。
ロシア語ではさらに「свет」という言葉も「世界」を意味する。「свет」のもう一つの意味は「光」だ。
つまり、ロシア語話者にとって「世界」は「平和」で「光」なのである。
私にとって自分の周りの「世界」はまあまあ「平和」だったが、遠いところに目をやると、そこは平和ではなく、光もない。自分の周りのまあまあ「平和」な「世界」も、光に満ちているわけではない。「世界」は「平和」で「光」であるのが本来の姿なのだと思えるようになりたいなあ……。

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