2019年09月22日

柴田保之『沈黙を越えて』

 ほとんど体を動かせず話もできない人、発話はあるが会話にならない人、そのような人たちが特別な装置やパソコンソフトを使い、他者の助けを借りて、文章をつづり始める。

 意思の疎通は絶対に無理だろうと思われていた人々の心の内を知ることができた時、周りの人たちはどんなにうれしかったことだろう。そして本人たちも、ずっと伝えたかったことを表現できて、どんなにうれしかったか。

 中途障害の人が適切な手段を与えられれば、自分の内面世界を表現できるだろうということは容易に想像がつくが、知的障害があるとされていて話す言葉も拙い人の内側にも、豊富な言葉が隠されていたというのは本当に不思議だ。アルツハイマーのために意思疎通が困難になっていた人も、この装置で自分の気持ちを伝えることができたという。「知的障害」って何だろう。頭のよしあしって、一般的なテストではかれるものではないのだろうなあ。






 最後の方に、援助の仕方が細かく書かれているが、非常に微小な動きを読み取るというもので、援助者の訓練もかなり大変そうだ。今後の科学技術の発展に伴い、もっと便利な装置が開発されることを望む。

 いろんな人が登場するので、誰の話だったか途中でわからなくなったりして混乱した(←これは私の問題)。図版は最初の方に少し絵があるだけなので、実際の入力の様子やパソコン画面の写真がもっとあればわかりやすかったかと思う。

にほんブログ村 外国語ブログ 多言語学習者(学習中)へ
にほんブログ村
ラベル:読書記録 日本語
posted by ごー at 21:50| Comment(0) | 日本語 | 更新情報をチェックする

2019年09月20日

新保信長『字が汚い!』






 まず、著者は自分の字が汚いと言っているが、私から見たら子供っぽくはあるけれど、決して汚い字ではない。でも、まずは自分の問題点に気づき、さらに上を目指すという姿勢は見習いたい。

15頁「それでも大人になれば自然と大人っぽい字が書けるようになるものだと思っていたら、全然そうじゃなかった。

 私もそう思っていた! 練習しなければ何事もうまくなるはずはないのに、なぜそう思いこんでいたのだろう。戦前はそこらじゅう手書きの文字ばかりで、行書、草書をふだんから書く人たちがいて、そういうのを日常的に目にしていたら、年齢とともに自然と大人っぽい字に変わっていく、というのもあったかもしれない。しかし、現在、手書きの文字を目にすることは少なくなった。たまに目にしても、ヘタウマ系の文字だったりする。そうすると、自分の脳みその中で「美しい文字」が育っていかない。

 自分の字を変えたいと思った著者は、いろんな人にインタビューしたり、ペン字練習帳で練習したり、関連する本を読んだり、ペン字教室に通ったりする。

 筆跡診断士、林香都恵さんの言葉で、108頁「人差し指が頑張ってる持ち方をされてますね。ペンは中指に置いて親指で押さえましょう。人差し指は乗せるだけ。で、親指の腹を意識して書くといいと言われています。」に目から鱗が落ちた。私も人差し指で書いていたみたい。言われた通りに持ってみると、以前より楽に書ける。

 面白いと思ったのは、私が見ていいと思う字と、他の人がいいと思う字は、時々違うらしいということ。たとえば、この本に「スポーツ庁」の看板の写真が掲載されているのだが、とても勢いがあってかっこいい字だと私は思う。そして、著者の言う「いい感じの字」が私にはよくない字に見えたりする。有名人が書いているから「いい感じ」に見えるのであって、無名の人の字だったら歯牙にもかけられないんじゃないかなあ?





 「きれいな字」「いい感じの字」ってなんだろうなあ?
 
にほんブログ村 外国語ブログ 多言語学習者(学習中)へ
にほんブログ村
ラベル:読書記録 日本語
posted by ごー at 20:08| Comment(0) | 日本語 | 更新情報をチェックする

2019年08月17日

きれいな字が書けたら楽しい

 小学生の時、読んでいた漫画雑誌の裏表紙に、「日ペンの美子ちゃん」の漫画がよく掲載されていた。ペン字の通信講座の広告である。

 子供の頃、きれいな字が書けたらいいだろうなあとは思っていたから、がんばってきれいに書こうとした。その結果、学校内の硬筆コンクールでは銀紙をつけてもらえるくらいにはなったのだが、母親からはいつも「あんたは字が下手だ」と言われるばかりで、努力するのがばかばかしくなり、字なんか読めればいいじゃん!と思うようになってしまった。だから、美子ちゃんの漫画を見ても「私には関係ないんだ」と思っていた。きれいな字というのは、才能のある人だけが書けるもので、努力でどうこうなるものではないのだと思い込んでいた。

 三十歳過ぎてから、「ごーさんは字がきれいね」と外国の人から言われることがたびたびあった。そんなことを言われたのは三十数年生きてきて、初めてのことだった。私の書くアルファベットはきれいなのかな? もしかして、日本語の文字もきれいに書けるかな?

 一時期、外国人が日本語を勉強するお手伝いをしていたことがあったのだが、日本語初心者の書くひらがな、カタカナ、漢字はとても美しい。というのも、初心者は教材で使われている教科書体の文字を見て、それを真似て書くからである。生徒さんが書いた文字があまりにもきれいで、答案用紙をうっとりながめたこともある。それで、私が書く文字が汚かったら、お手本にならなくて生徒さんに申し訳ないなあと思い、本を買って勉強した。確か、『文字の書き方』という本だったと思うのだが、誰かにあげてしまったらしく、手元にないので確認できない。





 40歳過ぎてから、親の介護のため、それまで住んでいた南欧某国から日本に戻ってきた。四六時中介護をしているわけでもないので、暇な時間には、外国ではできない、日本でしかできないことをしたいと思った。そして、外国にいた時、ずっと憧れていたことが二つあったのを思い出した。一つは日本人の先生のところで日本語を介してロシア語を学ぶこと。もう一つは習字教室に通うこと。

 ロシア語については、最高の先生とロシア語学習の先輩方に出会えて、夢が叶った。とはいえその教室は、来月終了してしまうのだが……。習字に関しては、家の近所にペン字教室があるのを発見し、以来そこに通い続けている。

 一人で字を書く練習していた時は、「練習してもあまり変化がないなあ」と思っていたのだが、先生について習うようになると、目からうろこが落ちるような発見が毎回たくさんある(これは習字だけでなく、ロシア語の教室でも同じ。たぶんあらゆる習い事、勉強において、先生についた方が効率よく、また正しいことを学べると思う)。自分には一生無理!と思い込んでいた筆ペンの文字も、まあまあ見られる程度には書けるようになった。ありがたいことである。

 字の美しさは、努力次第でどうにでもなるものだということを私は学んだ。展覧会で賞をとるような人には才能があるのかもしれないが、そもそも展覧会に出すような人は練習量がものすごいと聞いた。凡人の私が練習もせずに「字なんて読めればいい」なんて開き直っていたのは、まったく滑稽なことだった。残念なのは、子供の頃、それに気づかなかったことだ。小学生の時に、「日ペンの美子ちゃんをやってみたい」と親におねだりしてみればよかった。子供の頃からきれいな字を書けていたら、私の人生はもうちょっとましなものになったであろうと、今になって後悔している。




ラベル:日本語 勉強
posted by ごー at 20:52| Comment(0) | 日本語 | 更新情報をチェックする