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舞台は長崎。クリスマスの夜、教会の前で倒れている少年が発見されたところから話は始まります。この少年は自分について、
故郷は「はらいそ」(天国)父の名は「でうす」(天主)
などと言って、本気なのか人をからかっているのかよくわかりません。
でも、自分の故郷は天国で父は神だと思ったら、生きるのが楽になるような気がします。家柄自慢、学歴自慢、人脈自慢とか持ち物自慢など、いろんなものが自慢の種になりますが、本当はそういうのはどうでもよく、また持っていなかったからといって残念に思う必要もなく、みなあの世から同じようにここへ送り込まれてきて、しばらく過ごしたあとまたあちらに戻る、それだけのことだと思えばすべてがどうでもいいことなのです。そうはいっても、そのように思い切れないところが悩みをうむわけです(←これは私の場合です)。
この短編小説には「はらいそ」「でうす」など、外国語と思われる言葉がたくさん出てきます。
さて、これは何語かな、スペイン語かなラテン語かなと思ってよく見てみたら、ほとんどがポルトガル語でした。
外国語の音だけを聞いた昔の日本人が、その音を日本語のどの音に当てはめていたのかというのを知るのは大変興味深いことです。
本編の前に二冊の本からの抜粋が書かれています。
慶長訳 Guia do Pecador
と
慶長訳 Imitatione Christi
です。『Guia do Pecador』はポルトガル語で、日本では『ぎや・ど・ぺかどる』という題名で訳されたようです。「慶長」は訳された時の年号です。
この本の著者はルイス・デ・グラナダ、スペイン人で原著の題名は『Guia de Pecadores』。スペイン語版、英語版等はAmazonで購入できるようです。
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日本語のは↓ここで読めますが、私は教養が足りないので読めません。
東京大学総合図書館所蔵. キリシタン写本
https://iiif.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/repo/s/christian/page/home
もっと読みやすいものもいろいろあるようです。
『Imitatione Christi』はラテン語。
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本文を見ていきます。
「さんた・るちや」
教会の名前です。「Santa Luzia」。私だったら「さんた・るじあ」と読みますが。
「えけれしや」(寺院)
一瞬「igreja」(ポルトガル語で「教会」)のことかなと思いましたが、「ecclesia」だそうです。ラテン語です。「ecclesia」の元をたどると古代ギリシャ語の「ἐκκλησία」で、ポルトガル語の「igreja」は「ecclesia」が変化したものということらしいです。
「ろおれんぞ」
教会の前で倒れていた少年の名前です。「Lorenzo」。私なら「ろれんぞ」としたいところです。
伴天連
以前から、この言葉はどこから来たのだろうと疑問に思っていましたが、これはポルトガル語の「padre」だそうです。私なら「ぱどれ」とするでしょう。
「はらいそ」(天国)
「paraíso」。「ぱらいーぞ」。「ぱ」が「は」になるのはなぜ?
「でうす」(天主)
「Deus」
「ぜんちよ」(異教徒)
「gentio」。私だったら「ぜんちう」か「ぜんちお」にするかな? 実際の音は私には「じぇんちう」に聞こえます。
「こんたつ」(念珠)
「contas」。私なら「こんたす」と書くでしょうか。
「いるまん」衆(法兄弟)
「irmão」。この言葉にはいつも悩まされます。私の耳には「いるまおん」と聞こえるし、そのように発音しても今まで注意されたことはありません(←外国人割引かもしれない?)。でも文字をよく見てみれば、「いるまんお」とか「いるまんう」になるのでしょうか。それとも「いるまん」の方が近いのでしょうか。私の耳には「irmã」(姉妹)が「いるまん」に聞こえます。
「すぺりおれす」(長老衆)
「superiores」。
「しめおん」
「ろおれんぞ」によくしてくれる人。「Simeão」。
「ればのん」山
「Líbano」?
「ぐろおりや」(栄光)
「glória」。アクセントのあるところを「お」を入れることによって表しているのだと思われます。私だったら「ぐろおりあ」と書くところですが、「ia」は「いあ」ではなく「いや」の方が音が近いのかも???
「ぢやぼ」(悪魔)
「diabo」。私がひらがなで書くとすれば「ぢあぼ」。
「くるす」(十字)
「cruz」
「びるぜん・まりや」
「Virgem Maria」。「まりあ」にしたいけど「まりや」なのね。
「ぜす・きりしと」
「Jesus Cristo」。私だったら「じぇずす・くりすと」あるいは「ぜずす・くりすと」と書くかな。「c」は「き」でも「く」でもなく、「s」は「し」でも「す」でもないわけですが、当時の人は「き」「し」と書き、一方、私は「く」「す」と書きたくなってしまうというのは不思議です。
「こひさん」(懺悔)
「confissão」。「n」の音が消えてしまいました。
「まるちり」(殉教)
「mártir」「殉教者」。「殉教」は「martírio」。
私の耳には「いあ」「いお」と聞こえる「ia」「io」が「いや」「いよ」で書き表されるようです。
昔、学校の歴史の授業で、かつてキリスト教徒は弾圧されていた、キリスト教徒を見つけ出すのに「踏み絵」が使われた、といったことを習い(踏み絵については、そんなのはただの物体にすぎないのだから、遠慮なく踏めばいいのにと私は思ってました)、キリスト教徒はかわいそうだったなあと思ったものです。しかし……。
ここからは私の妄想です。
もしキリスト教があの時代に禁止されていなかったら、そしてキリスト教の布教がうまくいっていたら、日本はどうなっていたのでしょうか。日本語にはポルトガル語由来の言葉があふれます。もしかしたら日本語の発展が妨げられ、日本語だけでは学問ができないということになっていた可能性もあります。出世したければ、一度はポルトガルに留学しておかないといけない、という状況になっていたかもしれません。
ここまで妄想してきて思い当たりましたが、今の日本も大差ないのかも? 「ポルトガル」ではない別の国々によって、変化させられ侵食されてきているように思えます。
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