2024年10月14日

Duolingoのダイヤモンドトーナメント、それから学校について

ダイヤモンドトーナメントの準決勝、決勝と進みまして、なんとか最後まで残れました。9位でした。

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世界のどこかで、同じ時間に、Duolingoで勉強している人たちがいるのだとわかると、なんだかうれしいです。

「一緒に勉強する人がいると楽しい」。小中学校の頃からこのことに気づいていたら、学校の勉強ももっと楽しめたのだろうに、と今になって思います。

話は変わり……。

昔、夕方からの語学教室に通っていたことがあります。私は一日中暇だったので気楽なものでしたが、たいていの人は仕事が終わってから教室に来るのです。

人によっては、残業とか職場の接待などで休みがちだったりするのです。

ある時、テストがありました。ある人はあまり点数がよくなかったようです。その人は仕事のために来られないことが多かったから、点数がよくないのも仕方ないことだったのに、その人は泣き出して、こう言いました。

「先生があんなに丁寧に教えてくださったのに、こんな点数しかとれなくて、先生に対して本当に申し訳ない」

私はそれまで、テストの点数が悪くても、これは自分の勉強が足りなかったからだと思うだけで、先生に対して申し訳ない気持ちになったことなどありませんでした。泣きながら言ったその人の言葉に、私は目が、心が開かされたような感覚になりました。

大人になってからわかったのですが、一時間の授業のために先生方がどれだけの時間と熱意を費やしていたことか……。そうとわかっていれば、授業をさぼったり授業中に居眠りなどしなかったはずです。なかには、毎年同じノートを読み上げるだけの先生もいましたが、そういう先生はめったにいませんでした。

あー、また小学校からやり直したい。今学校に通っている人たちには、私のように意識低いまま暮らすことなく、学校生活の毎日を大切に過ごしてほしいものだと思います。

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ラベル:Duolingo 日記 勉強
posted by ごー at 08:06| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2024年10月06日

ウクライナの都市、ウーマニ

YouTubeを見ていると、私の知らないことがたくさんあるのに気づき、見るのをやめられません。

これは、一見イスラエルのどこかのように見えたのですが、ウクライナの都市、ウーマニなのでした。

За благословением - в Умань! Репортаж DW из Украины о праздновании иудейского праздника Рош ха-Шана


Рош ха-Шана(ローシュ・ハッシャナー)というのはユダヤ教の新年で、2024年は10月2日から4日まで。

ウーマニはハシディズムの聖地となっているので、世界中から巡礼者(паломник)が訪れるのです。ほとんどが男性です。イスラエルから来ている人もいます。新年のお祝いはイスラエルですればいいんじゃないの?と出不精な私は思ってしまったわけですが、他の国から来た同じ信仰を持つ人々と交流できるというのも、外国への巡礼のよい点の一つなのかもしれません。

祈りの力で世界に平和をもたらしていただきたいものです。

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ラベル:ロシア語 日記
posted by ごー at 20:12| Comment(0) | ロシア語 | 更新情報をチェックする

2024年10月05日

『死せる魂』第一巻読了

ゴーゴリの『Мёртвые Души(死せる魂)』Том первый(第一巻)を読み終わりました。うら〜!

第一巻といっても、第二巻はほとんど書き上がっていたのに、作者が暖炉に投げ込んでしまったので断片的にしか残っておらず、第三巻は書かれなかったのでした。作者の最初の構想によると、三部作にする予定だったのでした。






正直に言うと、最初の方は読んでいません。きちんと辞書を引いて読み始めたのは、たぶん第四章から。

オンライン学習会の課題書だったから読んだのであって、自分一人では読もうという気にはならなかったと思います。

私には難しいかなと思ったけれど(実際に難しかった)、主人公のチチコフと一緒にいろんなところに行って、いろんな人に会っているような気分になれて楽しかったです。私は現実の世界では、ほとんどどこにも行かない、誰にも会わないような生活(←そんなことでいいのか?)なので、なおさらです。

解読の際には平井肇の日本語訳と比べながら読み進めました。











登場人物が動いたり話したりしているような場面はいいのですが、風景の描写や著者の思い出話みたいな部分は、複雑なうえに(私にとっては)ちょっとだけ退屈でした。

ある英訳とも見比べたりしたのですが、この退屈に思える部分がその英訳ではごっそり省略されていたりしました。訳者がこの部分はいらないと判断したのか、出版社の考えによるものなのか、はたまた参照している原文がそうなっていたのかは、私にはわかりません。

しかし、平井肇訳では一言一句余さず訳してありました。素晴らしい! 「ж」という一文字の言葉もしっかり訳されています。そして、私の知らなかった日本語の言葉や表現をたくさん学ぶことができました。

ただし、時には「これ違うんじゃないかな」と思われる箇所もありまして、特に第十章の「コペイキン大尉の物語」のところは、参照している原文が違うのか、訳している人が違うのかと疑問に思ってしまうほどでした。あるいは私の理解力が不足しているのかもしれません。

一番印象に残った登場人物は、日本語の俗語でいうところの「汚部屋」暮らしの「プリューシキン」でした。プリューシキンは以前は普通に暮らしていた地主でしたが、妻が亡くなってから心の均衡が失われ、何も捨てなくなり、さらに外から物を拾ってきては家の中にためこみ、そして自分はぼろを着て暮らしています。私もできれば何も捨てたくない質なので、他人事とは思えませんでした。

「Плюшкин」は研究社露和辞典に掲載されていて、

極端なけち、どけち


と書かれています。

ちなみに主人公のチチコフ(Чичиков)については

金もうけ主義者


となっています。






読んでいると、研究社露和辞典にない単語もたまに出てきます。そういう単語は「Викисловарь(https://ru.wiktionary.org/)」を見ればたいてい見つかりました。ここにもない単語は、方言か作者の造語だと思うことにしました(←それでいいのか?)。

著者のゴーゴリはこの小説を「поэма(詩)」と称しています。どうして「詩」なのかな?

ある日、私はこの小説のある箇所を音読していました。すると、何かがかちっとはまったような感じがあり、自分から発せられる音がぐるぐると渦を巻き始め、その渦の中に私はひきこまれ、そのままどこかへ連れ去られてしまうような感覚になりました。おお、これが詩の力というものか? よくわかりません……。そしていつも必ずその感覚がやってくるわけでもありません……。でも面白い感覚だったので、今まで以上に音読に力を入れようと思います。

それから、チチコフが使っていたという「頬の肌理をよくするための石鹸」がどんなものなのか気になります。これを使ったら私もきれいになれるのでしょうか。

↓1984年のテレビドラマ版『死せる魂』。第一話。英語字幕あり。第五話まであります。

Мертвые души 1 серия (драма, реж. Михаил Швейцер, Софья Милькина, 1984 г.)


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posted by ごー at 08:22| Comment(0) | ロシア語 | 更新情報をチェックする