2024年04月26日

結局、どこでも同じなのかなと思ったこと

ゴーゴリの『死せる魂』を読んでいます。これはオンラインの授業で読んでいるのであって、私一人で読んでいるのだったらとっくの昔に挫折していたでしょうし、そもそも読んでみようとも思わなかったことでしょう。長いし、風景や心情の描写には複雑なところがあるし、方言なのかゴーゴリが作った言葉なのかわかりませんが、辞書にないような言葉も時々出てくるし……。

でも読んでみると面白いところがたくさんあって、授業に参加してよかったなあと思います。一緒に読んでくれている人たちに感謝です。

第十章に面白いところがありました。この直前にも興味深い文章があるのですが割愛。






Мы вдруг, как ветер повеет, заведем общества благотворительные, поощрительные и невесть какие. Цель будет прекрасна, а при всем том ничего не выйдет. Может быть, это происходит оттого, что мы вдруг удовлетворяемся в самом начале и уже почитаем, что все сделано. Например, затеявши какое-нибудь благотворительное общество для бедных и пожертвовавши значительные суммы, мы тотчас в ознаменовании такого похвального поступка задаем обед всем первым сановникам города, разумеется, на половину всех пожертвованных сумм; на остальные нанимается тут же для комитета великолепная квартира, с отоплением и сторожами, а затем и остается всей суммы для бедных пять рублей с полтиною, да и тут в распределении этой суммы еще не все члены согласны между собою, и всякий сует какую-нибудь свою куму.

平井肇訳。






我々はすぐに、おいそれと慈善団体だの、後援会だの、その他いろんな会を拵らえる。主旨はなかなか素晴らしいのだが、そのくせ何ひとつ結果は生まれないのだ。これは多分、我々が初めだけは有頂天になって、能事おわれりと考えるところから生ずるのであろう。例えば、貧民救済のために慈善団体の設立をもくろみ、相当巨額の金を集めると、さっそく我々はこうした美挙を記念するために、市の高位高官連を残らず午餐会に招待する、無論それで集めた拠金の大半は費えてしまい、残りの半分では、取りあえず委員会用に、暖房装置と守衛のついた堂々たる家を借りる。そうすると、貧民救済のためには、たかだか五ルーブリ半ぐらいしか残らないことになる。しかもその金額の割当てについて、会員同士のあいだに意見が対立し、みんながめいめい勝手に自分の親戚縁者を被救護者に推挙するのである。


「我々」というのはロシア人のことを指すわけですが(ゴーゴリはウクライナ人だけど)、これ、日本でも同じだなあと思ってしまったのは私だけでしょうか。ロシアとか日本とか関係なく、どこでも同じなのかもしれません。

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ラベル:ロシア語
posted by ごー at 22:42| Comment(0) | ロシア語 | 更新情報をチェックする

2024年04月23日

芥川龍之介『奉教人の死』

題名に興味を持ったので読んでみました。






舞台は長崎。クリスマスの夜、教会の前で倒れている少年が発見されたところから話は始まります。この少年は自分について、

故郷は「はらいそ」(天国)父の名は「でうす」(天主)


などと言って、本気なのか人をからかっているのかよくわかりません。

でも、自分の故郷は天国で父は神だと思ったら、生きるのが楽になるような気がします。家柄自慢、学歴自慢、人脈自慢とか持ち物自慢など、いろんなものが自慢の種になりますが、本当はそういうのはどうでもよく、また持っていなかったからといって残念に思う必要もなく、みなあの世から同じようにここへ送り込まれてきて、しばらく過ごしたあとまたあちらに戻る、それだけのことだと思えばすべてがどうでもいいことなのです。そうはいっても、そのように思い切れないところが悩みをうむわけです(←これは私の場合です)。

この短編小説には「はらいそ」「でうす」など、外国語と思われる言葉がたくさん出てきます。

さて、これは何語かな、スペイン語かなラテン語かなと思ってよく見てみたら、ほとんどがポルトガル語でした。

外国語の音だけを聞いた昔の日本人が、その音を日本語のどの音に当てはめていたのかというのを知るのは大変興味深いことです。

本編の前に二冊の本からの抜粋が書かれています。

慶長訳 Guia do Pecador


慶長訳 Imitatione Christi


です。『Guia do Pecador』はポルトガル語で、日本では『ぎや・ど・ぺかどる』という題名で訳されたようです。「慶長」は訳された時の年号です。

この本の著者はルイス・デ・グラナダ、スペイン人で原著の題名は『Guia de Pecadores』。スペイン語版、英語版等はAmazonで購入できるようです。











日本語のは↓ここで読めますが、私は教養が足りないので読めません。

東京大学総合図書館所蔵. キリシタン写本
https://iiif.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/repo/s/christian/page/home

もっと読みやすいものもいろいろあるようです。

『Imitatione Christi』はラテン語。






本文を見ていきます。

「さんた・るちや」

教会の名前です。「Santa Luzia」。私だったら「さんた・るじあ」と読みますが。

「えけれしや」(寺院)

一瞬「igreja」(ポルトガル語で「教会」)のことかなと思いましたが、「ecclesia」だそうです。ラテン語です。「ecclesia」の元をたどると古代ギリシャ語の「ἐκκλησία」で、ポルトガル語の「igreja」は「ecclesia」が変化したものということらしいです。

「ろおれんぞ」

教会の前で倒れていた少年の名前です。「Lorenzo」。私なら「ろれんぞ」としたいところです。

伴天連

以前から、この言葉はどこから来たのだろうと疑問に思っていましたが、これはポルトガル語の「padre」だそうです。私なら「ぱどれ」とするでしょう。

「はらいそ」(天国)

「paraíso」。「ぱらいーぞ」。「ぱ」が「は」になるのはなぜ?

「でうす」(天主)

「Deus」

「ぜんちよ」(異教徒)

「gentio」。私だったら「ぜんちう」か「ぜんちお」にするかな? 実際の音は私には「じぇんちう」に聞こえます。

「こんたつ」(念珠)

「contas」。私なら「こんたす」と書くでしょうか。

「いるまん」衆(法兄弟)

「irmão」。この言葉にはいつも悩まされます。私の耳には「いるまおん」と聞こえるし、そのように発音しても今まで注意されたことはありません(←外国人割引かもしれない?)。でも文字をよく見てみれば、「いるまんお」とか「いるまんう」になるのでしょうか。それとも「いるまん」の方が近いのでしょうか。私の耳には「irmã」(姉妹)が「いるまん」に聞こえます。

「すぺりおれす」(長老衆)

「superiores」。

「しめおん」

「ろおれんぞ」によくしてくれる人。「Simeão」。

「ればのん」山

「Líbano」?

「ぐろおりや」(栄光)

「glória」。アクセントのあるところを「お」を入れることによって表しているのだと思われます。私だったら「ぐろおりあ」と書くところですが、「ia」は「いあ」ではなく「いや」の方が音が近いのかも???

「ぢやぼ」(悪魔)

「diabo」。私がひらがなで書くとすれば「ぢあぼ」。

「くるす」(十字)

「cruz」

「びるぜん・まりや」

「Virgem Maria」。「まりあ」にしたいけど「まりや」なのね。

「ぜす・きりしと」

「Jesus Cristo」。私だったら「じぇずす・くりすと」あるいは「ぜずす・くりすと」と書くかな。「c」は「き」でも「く」でもなく、「s」は「し」でも「す」でもないわけですが、当時の人は「き」「し」と書き、一方、私は「く」「す」と書きたくなってしまうというのは不思議です。

「こひさん」(懺悔)

「confissão」。「n」の音が消えてしまいました。

「まるちり」(殉教)

「mártir」「殉教者」。「殉教」は「martírio」。

私の耳には「いあ」「いお」と聞こえる「ia」「io」が「いや」「いよ」で書き表されるようです。

昔、学校の歴史の授業で、かつてキリスト教徒は弾圧されていた、キリスト教徒を見つけ出すのに「踏み絵」が使われた、といったことを習い(踏み絵については、そんなのはただの物体にすぎないのだから、遠慮なく踏めばいいのにと私は思ってました)、キリスト教徒はかわいそうだったなあと思ったものです。しかし……。

ここからは私の妄想です。

もしキリスト教があの時代に禁止されていなかったら、そしてキリスト教の布教がうまくいっていたら、日本はどうなっていたのでしょうか。日本語にはポルトガル語由来の言葉があふれます。もしかしたら日本語の発展が妨げられ、日本語だけでは学問ができないということになっていた可能性もあります。出世したければ、一度はポルトガルに留学しておかないといけない、という状況になっていたかもしれません。

ここまで妄想してきて思い当たりましたが、今の日本も大差ないのかも? 「ポルトガル」ではない別の国々によって、変化させられ侵食されてきているように思えます。

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posted by ごー at 12:50| Comment(0) | ポルトガル語 | 更新情報をチェックする

2024年04月13日

がっしー『ニート魔王』、それからシューベルトの『魔王』について

『ニート魔王』という漫画を読みました。






ニートが目を覚ましたら魔王になっていた、というお話。

新しい世界でとまどいながらも、ニートは魔物たちと仲良くなっていきます。魔物たちはかわいらしい姿をしていたり、一見恐ろしそうな外見だけどとても優しかったりします。

この世界では魔物と勇者は敵対するということになっているので、勇者たちが魔物たちに襲いかかってきます。

勇者たちに囲まれてしまった魔王(元ニート)は、

争いなんて無理でーす
怖いしだるいんで


どっちが悪とか正義とか
どうでもいいですよ
めんどくさい


なんて言うのです。

人間は今よりもうちょっとめんどくさがりになった方が、みんな平和に暮らせるんじゃないかなと、めんどくさがりの私は思うわけです(←これを自己正当化と言います)。

この漫画の中に、

ニートは1日1ターン制だから…


というせりふがありました。まるで私のようだ。私は掃除、炊事といった家事は一応毎日しますが(しない日もある)、それ以外のことは一日一つしかできないのです(←そんなことでいいのか?)。

そして思い出したのが、ロシア民謡の『一週間』。小学校で習ったのかなと思います。

『一週間』の原題は何なのか知らないなあと思ってインターネットで調べたら、『Неделька』でした。『неделя』の指小形です。

「世界の民謡・童謡」https://www.worldfolksong.com/index.html)というサイトに『一週間』の日本語とロシア語の歌詞が掲載されています。

一週間 ロシア民謡 歌詞の意味・和訳
https://www.worldfolksong.com/songbook/russia/week.htm

日本語訳は元の歌詞とはちょっと違うところもありますが、概ね意味は同じで、見事な訳だなあと思いました。

さて、「魔王」という言葉を聞くと、私の頭の中に「どぅどぅどぅ、どぅどぅどぅ、どぅどぅどぅ、どぅどぅどぅ。どぅるる、どぅるる、どぅっどぅっどぅー」という音楽が聞こえてきます。シューベルトの『魔王』です。これは中学校の音楽の時間に習ったのだと思います。

この曲、中学校の音楽室で聞いた時には、35歳とか40歳くらいの人が作曲したのかなと思っていましたが、実はシューベルトが18歳の時に作った曲なのでした。中学校の音楽室にいた私たちよりちょっとばかり年上だった青年が、こういう曲を作っていたとは!

シューベルトは31歳で亡くなっています。シューベルトというと『鱒』、『軍隊行進曲』、ピアノの即興曲いくつかとか、未完成の交響曲とか、『野ばら』とかいろいろ思い浮かびますが、すべてシューベルトの31年の人生の中で作曲されたということです。ものすごく凝縮された一生といいますか、早熟と言ったらいいのか、でも早死にだったのは気の毒です。

『魔王』の原題は『Erlkönig』で、これはゲーテの詩だそうで、『野ばら』もゲーテの詩に曲をつけたものだとのこと。『魔王』や『野ばら』に曲をつけたのはシューベルトだけではないので、ゲーテの人気ぶりがうかがえます。

私はドイツ語を知らないので「Erlkönig」にどんな意味があるのかわかりませんが、英語にすると「erlking」とのことなので、英和辞書(ジーニアス英和大辞典)で見てみたところ、

[ゲルマン神話]エールキング《子供に対していたずらをしたり、悪事をはたらいたり、死の国に誘ったりする妖精[巨人]の王》


とありました。『魔王』に出てくる子供は、死の国に誘われてしまったのですね……。

このシューベルトの『魔王』はロシア語では何と言うのかなと思い調べてみたら「Лесной царь」でした。

「森の皇帝」、「森の王」? 森のくまさんのような姿を思い浮かべてしまったのは私だけでしょうか。

ちなみに、コンサイス和露辞典で「魔王」のところを見てみると「сатана」と「дьявол」、二つの単語が書かれていました。

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posted by ごー at 02:30| Comment(0) | ロシア語 | 更新情報をチェックする