2024年03月22日

BとV、それからWについて

何度も挫折したエスペラントの学習を、私が今続けられているのにはいくつかの理由があるのですが、そのうちの一つが「ポルトガル語に似ている」ということなのです。ポルトガル語を知らなかったら、私はまた挫折していたかもしれません。

綴りも音も同じ単語、綴りだけ同じ単語、音だけ同じ単語などがあります(ただし、ポルトガル語ではアクセントのないoがuの音になるなど、厳密に言うと違いがありますが)。

urso(クマ)(綴りが同じ。音もほぼ同じ)
centro(中心)(綴りが同じ)
secaとseka(乾燥した)(音がほぼ同じ)

など。いろいろ例を挙げようと思いましたが、きりがないのでやめておきます。

一方で、綴りも音も同じで意味が違う単語もあったりします。

たとえば「ombro」。これはポルトガル語では「肩」のことですが、エスペラントでは「影」の意味になります。

似ているようで、BとVが入れ替わっている単語があります。

(葡)árvore (エス)arbo (木)
(葡)carvão (エス)karbo (炭)
(葡)livro  (エス)libro (本)

エスペラントを再開して最初の頃は「『本』はどういうふうに書くのだったっけ? 『livro』? 『libro』? ええと、ポルトガル語の『本屋』が『livraria』だからポルトガル語が『livro』で、エスペラントは『libro』だ」ということを頭の中で考えたりしていたものです。

BとVの入れ替わりはポルトガル語と英語の間でもあって、

(葡)impossível (英)impossible

などがその例です。

「象徴、シンボル」はポルトガル語では「símbolo」、英語では「symbol」、エスペラントでは「simbolo」ですが、なぜかロシア語では「символ」で「V」の音が使われています。

ポルトガルの北部では「V」が「B」の音になることがあるそうです。

Características de alguns dos principais sotaques de Portugal
https://observalinguaportuguesa.org/caracteristicas-de-alguns-dos-principais-sotaques-de-portugal/
Outra característica muito típica dos sotaques do Norte é que pronunciam o V como sendo um B. Não dizem vaca, dizem “baca”.


「B」と「V」の音はいつでもはっきり区別するものだと思っていましたが、意外とそうでもないのかも?(少なくともポルトガルの北部では……)

スペイン語では「B」と「V」の音に違いがないと聞いたことがありますが、ポルトガルの北部からさらに北に行くと、スペインのガリシア地方ですから(言語はガリシア語)、このポルトガル北部の方言はスペインの言語の影響なのかと思われます。ではポルトガル北部から南下した場合、どこから「B」と「V」がはっきり区別されるようになるのでしょうか。不思議……。

ロシア語の「V」の音は英語より弱い感じになるのだと昔習いました。

それで、日本人の耳には、

「Москва」は「モスクワ」
「Иван」は「イワン」に聞こえるのだと……。

Wikipediaに興味深いことが書かれていました。「символ」についても記述がありました。

ウィキペディアの執筆者,2023,「В」『ウィキペディア日本語版』,(2024年3月22日取得,https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%D0%92&oldid=97444172).

今まで、「символ」?「симбол」?と迷うことがよくありましたが、今後は間違えずにすみそうです(たぶん……)。

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posted by ごー at 20:50| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2024年03月16日

Duolingoに「音声」が現れた

しばらく前に、Duolingoの英語コースに「音声」という項目が現れました。単語の発音を聞いて、何と言っているのかを判断していくというものです。

簡単簡単!と思っていた私は甘かった。「hot」と「hut」の聞き分けができません。今までなんとなくわかっているようで結局わかっていなかったのだということを、改めてつきつけられたような気持ちです。

この単語の聞き分けというのは母語が何かにもよっても難しさが変わってくるもので、「sheep」と「ship」、「beat」と「bit」を聞き分けるのが難しい人もいるらしい。私には全然別の音に聞こえますが。でも、「lice」と「rice」をいつでも正確に聞き取れるかというと、私にはこれは難しい。一方で「L」と「R」はまったく別の音であると識別できる人もいるわけです。不思議……。

「L」と「R」、「B」と「V」などは、少なくとも自分で発音する時は気をつけるようにするけれど、前述の「hot」と「hut」は動画を見ながら練習してみましたが、正しく言えているのかどうかすらもよくわかりません……。

hot、hat、hutのアを区別しよう!



ポルトガル語やロシア語のコースにも「音声」の練習があったらいいのになあ……。ポルトガル語の「スプーン」の「colher」と「収穫する」の「colher」、私には一生聞き分けができないことでしょう。

ロシア語の「Ш」と「Щ」の区別も私には難しいのですが、昔、掲示板の2ちゃんねるに、「Щ」の音は「ししゃも」の「ししゃ」だよ、と書かれているのを見てなるほど〜と思い、今でも時々「ししゃも、ししゃも」と唱えていますが、正確に発音できているかどうか自信がないし、聞き分けはさらに難しい。

「Щ」については、研究社露和辞典の2757ページに興味深い記述がありました。「борщ」を日本語で「ボルシチ」と書き表すのは、ペテルブルグ(ペトログラード、レニングラード)式発音だったのかと合点がいった次第です。






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posted by ごー at 23:40| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2024年03月09日

小説に私の思っていることが書かれている その2

引き続き、『マルタ』を読んでいます。(過去記事「小説に私の思っていることが書かれている その1」https://kotobanobenkyo.seesaa.net/article/502354327.html

マルタはやっと紹介してもらったフランス語の家庭教師の仕事を、わずか一ヶ月で自ら手放してしまいます。そして、先方が用意していた一ヶ月分のお給料を受け取らないのです。

その際のマルタのセリフ。

エスペラント訳

— Vi nenion ŝuldas al mi, — ŝi diris, — ĉar mi absolute nenion lernigis al via filino.


ロシア語訳

— Мне ничего не следует, — сказала она, — ведь я вашу дочь ничему не научила.


「следовать」に「支払われるべきである」という意味があることを私はここで学びました

しかし、マルタはなぜお給料を受け取ることを拒否してしまったのでしょうか。自分の時間を割いて通ったのに! 本を買い込んでフランス語の勉強もしたのに! 食べるものにも暖房用の薪木にも不自由しているのに……。せめて本代だけでももらっておけばよいものを……。

私自身の過去を振り返ってみて、仕事内容のわりにはお給料が多すぎるなあと思ったことは何度かあります。でも、せっかく用意してもらったのだからとありがたく受け取ってきました。しかしマルタは受け取らない。誇り高いのにもほどがあるんじゃないですか。

マルタはこの家の人から別の仕事を紹介してもらうことになったようですが、はたしてどうなるのでしょうか?

さて、今回の「小説に私の思っていることが書かれている」はゴーゴリの『死せる魂』。






第9章からです。

Сперва ученый подъезжает в них необыкновенным подлецом, начинает робко, умеренно, начинает самым смиренным запросом: не оттуда ли? не из того ли угла получила имя такая-то страна? или: не принадлежит ли этот документ к другому, позднейшему времени? или: не нужно ли под этим народом разуметь вот какой народ? Цитует немедленно тех и других древних писателей и чуть только видит какой-нибудь намек или просто показалось ему намеком, уж он получает рысь и бодрится, разговаривает с древними писателями запросто, задает им запросы и сам даже отвечает за них, позабывая вовсе о том, что начал робким предположением; ему уже кажется, что он это видит, что это ясно, — и рассуждение заключено словами: «так это вот как было, так вот какой народ нужно разуметь, так вот с какой точки нужно смотреть на предмет!» Потом во всеуслышанье с кафедры, — и новооткрытая истина пошла гулять по свету, набирая себе последователей и поклонников.







平井肇訳

初め学者が或る問題を論究せんとするや、非常に卑屈な態度でそれを取りあげ、小心翼々として、『これは一体どういうところからこうなったのだろう? 斯く斯くの国名はこの一角の名前から由来したのではなかろうか?』とか、また、『この文献はもっと別の、遥か後代に属するものではなかろうか?』また、『この人民というのは、これこれの人民の意味に解すべきではなかろうか?』などといった、極めて謙虚な質疑を以ってはじめる。それから間もなく、あれやこれやと古代の稗史小説を引合いに出して何か暗示を見つけるか、又は暗示を見つけたような気がすると、もうそろそろ彼はお調子に乗って大胆になり、初め遠慮がちな臆測から出発したことなどは、すっかり忘れてしまって、古代の著者達と不遠慮に言葉をかわしたり、彼等にさまざまな質問を課したり、それに自分で答えたりまでするのである。そして自分は何もかも会得しており、一切は明白であると思いこんでしまって、『つまり、事の起こりはしかじかであった、しかも、その張本人はこれこれの人種と解すべきである! 従って、そういう見地からこの問題を考察する必要がある!』といった風な言葉で断案を下してしまうのである。やがてそれが公然と演壇から叫ばれ、新発見の事実として世間にひろまりながら、追随者と崇拝者を集めることになるのである。


長い引用になってしまいましたが、学問だけではなく様々な分野で、これと似たようなことが今現在でも起こっているように私には思われます。

私自身も自分勝手な思い込みで「これはこうなのに違いない!」とさも大発見をしたような気分になることがありますが、幸か不幸か私には「追随者と崇拝者」がいませんので、家の中でわーわー言っているだけで済んでいます。それを聞かされる家族は迷惑しているのかもしれません。

『死せる魂』には、なるほど〜と思えるところや、今でも同じだなあと思えるところもあり、なかなか面白いです。私の乏しい読書経験からすると、夏目漱石の『吾輩は猫である』に雰囲気が似ているような気がします。いろんな人が出てきてわーわー言っていて、それを冷静に描写する筆者(『死せる魂』)あるいは猫(『吾輩は猫である』)。とはいえ、私は『吾輩は猫である』を通読したことがないのですが(←感想を述べるなら、全部読んでからにしなさい)。






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posted by ごー at 03:48| Comment(0) | ロシア語 | 更新情報をチェックする