漢文の授業では、杜甫(712ー770)や李白(701ー762)の詩、「論語」などを読んでいたかと思いますが、これらは、古文の授業で読んだ「源氏物語」や「枕草子」、「平家物語」や「徒然草」などよりもずっと古いわけで、日本の高校生はすごいものを読んでいるなあと感心します。
ちょっと疑問があるのですが、現代の中国語を知っている人から見ると、漢文の授業で読んでいたものは「古い」と感じられるのでしょうか。それから、現代の中国語の文章に返り点をつけたら、日本語しか知らない人でも内容が理解できたりするのでしょうか?
高校の漢文の授業はちんぷんかんぷんで、あまり面白いとは思えなかったのですが(先生、ごめんなさい!)、卒業後に『多久の漢文王国』という本を読んだらとても面白くて、高校の漢文の授業もちゃんと聞いておけばよかったと反省したものです。
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魯迅『非攻』
昨年の12月に魯迅の短編小説『非攻』のエスペラント訳『Antimilitisto』を読みました。
『Antimilitisto』
https://www.ilei.info/novajxoj/Antimilitisto.pdf
ILEI(Internacia Ligo de Esperantaj Instruistoj)という団体が、毎年12月15日、エスペラント創始者であるザメンホフの誕生日(「本の日」とも呼ばれる)に、みんなで同じ作品を読みましょうという呼びかけを行なっていて、昨年提案された作品二つのうちの一つが魯迅の『非攻』でした。
私一人ではたぶん読めなかっただろうと思いますが、サークルの人たちと一緒だったのでなんとか読み通しました。
『非攻』の主人公は中国の思想家、墨子。ある国の王様が別の国に攻め入るつもりであると聞いた墨子が、王様を諌めに出かけていくという話です。
墨子が生きていたのは、紀元前470頃から紀元前390頃とされています。紀元前です。イエス・キリストよりも前です。その時代にこういう考えの人がいたとは!
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それなのに、人間は21世紀になってもまだドンパチやっているわけで、なんだかなあと思います。
「ウィキブックス」というサイトに墨子の『非攻』がありました。
高等学校古典B/漢文/非攻. (2023年2月25日11:29). Wikibooks. 2023年8月18日20:32 https://ja.wikibooks.org/w/index.php?title=%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%8F%A4%E5%85%B8B/%E6%BC%A2%E6%96%87/%E9%9D%9E%E6%94%BB&oldid=223874 にて閲覧.
胡蝶の夢
YouTubeで道教についての動画を見ました。
道教といえば、昔『タオのプーさん』という本を読んだことを覚えています。とても面白かったことは覚えていますが、内容は忘れています。また読みたい。
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この動画の中で「胡蝶の夢」という話が取り上げられています。
高等学校古典B/漢文/胡蝶之夢. (2022年11月26日11:14). Wikibooks. 2023年8月18日20:59 https://ja.wikibooks.org/w/index.php?title=%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%8F%A4%E5%85%B8B/%E6%BC%A2%E6%96%87/%E8%83%A1%E8%9D%B6%E4%B9%8B%E5%A4%A2&oldid=215419 にて閲覧.
なんとなく「般若心経」に通じるところがあるような……。
ここで私は、ロシアのアニメ「Смешарики」の『Бабочка(蝶)』という話を思い出しました。
雨の降る夜、ヘラジカ(лось)のラシャーシュ(Лосяш)はクマのカパーティチ(Копатыч。カパーティチは農業をやっていて、土を掘って耕す「копать」のでこの名がついているのだと思われます)の家でお茶をご馳走になっていました。何か考えこんでいる様子のラシャーシュが話し始めます。
「ラジオ番組があったんだ。我々はみんな、過去、生きていた、ただ、そのことを覚えていないんだって。興味を持ったから、ラジオ局に手紙を送った。そしたら自分は前世で蝶だったということがわかった」
「いつも心の中では、自分は蝶なんだと感じていた。こんなふうに(ヘラジカの姿に)生まれたことが不可解だった」
翌日から、ラシャーシュは蝶になりきります。フクロウ(сова)のサヴーニャ(Совунья)やヒツジ(баран)のバラーシュ(Бараш)はそんなラシャーシュを見て呆気にとられてしまいます。
友人たちはこの状況をなんとかしなければいけないと思い、ラシャーシュを説得しようとします。でもラシャーシュは「自分はヘラジカの姿だけれど、心は蝶なのだ。長年、ヘラジカのふりをしていたけれど、もう嘘をつくことはできない!」と言って聞く耳を持ちません。
結局のところ、花の蜜ではおなかがいっぱいにならないラシャーシュはヘラジカに戻り、友人たちが用意した食べ物をがつがつ食べるのでした。食べるのに夢中なラシャーシュに向かってバラーシュが言います。
「今日はトラになった夢を見た。しましまで強くて、恐ろしいトラ」
ぎょっとしたラシャーシュにバラーシュは言います。
Не боись! Тигры бабочек не едят.
「Не бойся.」と「Не боись.」の微妙な違いが私には難しいところです。
не боись. (2022, март 27). Викисловарь. Retrieved 22:41, август 18, 2023 from https://ru.wiktionary.org/w/index.php?title=%D0%BD%D0%B5_%D0%B1%D0%BE%D0%B8%D1%81%D1%8C&oldid=12235792.
羊の夢
羊のバラーシュはトラになった夢を見ました。私は羊になった夢を見ていました。
幼児の頃の私は、夢うつつの中で次のような光景をよく見ていました。
気がつくと、私は原っぱにいます。下は草。ひんやりして、ちょっとちくちくする時もあります。隣にはおかあさんがいます。おかあさんは白くてふわふわです。上を見ると空がどこまでも広がっていて、おかあさんに似た白いふわふわが浮かんでいます。
ある時、私は「おかあさんから離れて遠くへ行ったら、何があるのだろう」と思いました。おかあさんから離れてとことこ歩いていきます。行った先にはとげとげのついた針金が張り巡らされていて、そこから先には行けないようになっていました。私はがっかりして、おかあさんのところに戻ります。
そんな夢を何度も見ていました。いつの間にか見なくなりましたが。
私は羊になった夢を見たのでしょうか。
あるいは羊が人間になった夢を見ているのでしょうか。