子猫を保護して育てたら、大きく育って、大柄な人間くらいの大きさになって、家のことを全部やってくれるという、夢のようなお話。
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福澤幸来さん宅の猫「諭吉」は、保護した時には小さな子猫だったのに、なぜだかとても大きく育ってしまった。そして、幸来さんが会社に行っているあいだに、ゴミ出し、洗濯、掃除、夕飯作り、幸来さんの弁当の下ごしらえなどする。そして幸来さんが帰宅すると夕食を出し、時にはお風呂に入れてくれたり体重を量ってくれたりもする。
諭吉は人間の言葉はしゃべらないけど(口の構造が違うからか?)、人の言うことは全部わかっていて、テレビ番組を見ながら新しい料理に挑戦したりする。裁縫もできる。なんでもできるうえに、気遣いもある。
そこで思い出したのが、「猫のマトロスキン」。
マトロスキンが登場するソ連のアニメПростоквашино三部作は、エドゥアルド・ウスペンスキーの『Дядя Федр, пёс и кот』を元にしている。
ウスペンスキーはわにのゲーナやチェブラーシカの作者としても有名。
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フョードルおじさんというあだ名の少年には、Простоквашино村に猫のマトロスキン、犬のシャーリクという友達がいる。
三部作の二作目『Каникулы в Простоквашино』(1980)。
ある日フョードルおじさんの母親がリゾート地に行きたいと言い出す。そこで親子3人で列車の駅に向かったのだが、フョードルおじさんはどうしてもПростоквашино村に行きたくて、Простоквашино村行きの列車に乗ってしまう。
一方、リゾート地に到着した両親は、海辺で日の光を楽しむ。
息子のことを心配する父親に、母親は「あの子にはあの猫がいるから大丈夫」と言う。マトロスキンはそんなにも信頼されているのである。
すると父親は、
Был бы у меня такой кот, я, может, и не женился бы никогда.
と言うのだった。(奥さんのいる場で、なんと大胆な発言!)
マトロスキンは人間の言葉を話すことができ、裁縫ができて、ギターが弾けて、とても賢いけれど無邪気なところもあって、頼れるかわいい猫なのだ。
私にマトロスキンや諭吉みたいな猫がいたら、結婚したいなんて思わなかっただろう。
そういえば、以前読んだ『おかゆネコ』という漫画も面白かった。猫が人間のためにおかゆを作ってくれるのである。
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猫は、猫だけでなくすべての生き物は、そこに存在するだけで尊いのだけど、自分の面倒を見てくれる猫って、ちょっと、いや、かなり憧れる。

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