今年のは違う。逃げるところがどこにもない。手洗い、うがい、消毒を万全にして、ウイルスにつけこまれないように体調を常に整えておかなければいけない。「外から帰ったら、必ず手を洗ってうがいしなさいよ!」と言うお母さんたちは正しかった。電車のつり革をさわれない人たちのことを「潔癖症」と呼んでいたけれども、あの人たちは正しかった。
今年のお正月もいつものように寝正月で、私が眠っているあいだにイランとアメリカがあやしい雰囲気になったりして、どうか大変なことになりませんようにと願ったのだったが……。こんなに大変な年になるとは思ってもいなかった。
そして今年の正月には、自分としては珍しく「何か新しいことを始めよう」と思ったのだった。そこで選んだのが「エスペラント」。正確にはまったく新しく始めたわけではなくて、再開。二十歳の頃に勉強し始めて挫折、三十歳過ぎた頃に教室に通ってみたけど、また挫折。今回は三度目の正直となるかどうか。
去年の秋頃、人生でやり残したことは何かなあと考えた。自分ではもうどうにもできないこと、今からでも自分でできそうなことなどいくつかあった。そして、「今からでも自分でできそうなこと」の中に「エスペラントの勉強」があった。ポルトガル語の基礎を覚えたから、もしかしたら今度はなんとかなるかも(エスペラントはヨーロッパの言語をもとに作られいて、ラテン系の単語も少なくないから、ポルトガル語に似ている言葉がたくさんある)?
地元の会に入れてもらって、JEI(日本エスペラント協会)の会員にもなった。数回、地元の会の集まりに参加したところで、集まりそのものができなくなった。その代わり、集まりはオンラインで行われることになった。私はずっと家にこもりっぱなしで、家族以外とは話すことがないから、このオンラインの集まりが外の人と話す唯一の機会。たいへんありがたいことである。
エスペラントは、聡い人だと3ヶ月とか半年でかなり話せるようになるらしいのだが、私はそういうタイプではないので、会で読んでいるものとDuolingo(英語版とポルトガル語版)、それからClozemaster(英語版、日本語版)を使ってのんびりやっている。少しずつ知っている単語が増えるとうれしい。
エスペラントは、1859年に今のポーランド(当時ロシア領)で生まれた、ザメンホフという姓を持つユダヤ人の眼科医によって作られた。彼が暮らしていた地域では、ポーランド語、ロシア語、ユダヤ人の間ではイディッシュ語と、さまざまな言語がとびかっていた。もしみんなが一つの言語でわかりあえたら、誤解やいさかいが減るのではないか、と彼は考えた。
現実には、同じ言語を使う者同士のあいだでも、誤解や争いはなくならないのだが……。
自分の母語の他にもう一つの言語を学ぶ。そのもう一つの言語を使えば、世界中の人と話ができる。
現在、実質的には「英語」がその「もう一つの言語」になっている。でもそれだと、英語を母語にする人が圧倒的に有利だ。研究者が英語で論文を書く。英語を母語としない研究者は、研究以外に英語の勉強もしないといけない。英語を母語としない研究者が英語の勉強をしているあいだに、英語を母語とする研究者は自分の研究を進めることができる。不公平だなあ。ソ連があったころに東側諸国と呼ばれた地域では、ロシア語がその立場にあった。
イギリス人の知人が「どこの国に行っても、みんな英語で対応してくれる。ありがたいけど、なんだか申し訳ない気持ちになる」と言っていたことを思い出す。
1887年、最初のエスペラントの本が出版された。それより前の1879年に、ドイツの神父が自分で考案した人工言語を発表した。それはヴォラピュク。私が学生の頃、ヴォラピュクの学習者数はエスペラントの次くらいに多いと聞いたような記憶がある。wikipediaには、現在の話者数は20人くらいと書かれている。ほぼ同時期に同じようなことを考えて発表した人たちがいるというのは興味深い。
最近は、あるパソコンゲームをきっかけにしてエスペラントを勉強しはじめる若い人たちがいると聞いた。

百合でおぼえるユリアーモ/百合でおぼえるエスペラント
エスペラントの学習者が増えて、国にこだわらない国際交流が増えればいいなあと思う。だって、お友達がいる国と戦争したいとは思わないでしょう? それが私の希望です。交流はしなくても、言語、文化、歴史、その他さまざまな事柄について、今まで当然と思っていたこれは何だろうと考える人が増えたらいいなあと思う。

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ラベル:エスペラント