2020年06月27日

茶、行く?

ロシアのテレビドラマを見ていたら、「茶、行く?」という言葉が聞こえてきて、面白いなあと思った。

Посторонняя (2020) Мелодрама
https://www.youtube.com/watch?v=h8DDFDHTySE&t=1193s

(「茶、行く?」は19:45のあたり。)

「чаёк」は「чай(茶)」の指小形・愛称形。「чаёк」の単数生格は чайка あるいは чайку。「Чайку?」で「お茶でもどう?」といった意味になる。生格になっているのは、このドラマの場面では хочешь が省略されているからかな?(相手によってはхотите)

「Чайку?」と「茶、行く?」。似たような音で似たような意味になるのが、とても面白いと思ったのでした。

このドラマ、冒頭部分を見始めたところで、「こんな終わり方をするんだろうなあ」と薄ぼんやり考えてみたのだが、結局、私の凡庸な頭での予想がぴたりと当たってしまい、なんだかなという感じ。こういうのを「予定調和」というのかな?

物語は公園で女性の死体が発見されるとことから始まる。近くにいた酔っ払いのおじさんが、殺人の疑いで逮捕される。

このおじさんの娘(主人公)は、母親になることをずっと夢見ていたのだが、なかなか子宝に恵まれずにいた。ある日、夫から「俺、父親になるんだ」と告白され、失意のどん底に。そしてその日の晩、自分の父親が殺人犯として逮捕・留置されていることを知る。

「わたしの父さんは酒飲みだけど、人殺しをするような人じゃない」と固く信じている彼女は、被害者の元夫の家へ子供(母親が死んだため、父親に引き取られた)の養育係として入り込み、自分の父親が殺人犯でないことの証拠集めを始めるのだった……。

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posted by ごー at 08:26| Comment(2) | ロシア語 | 更新情報をチェックする

2020年06月25日

勝利と不幸

今年は、第二次世界大戦での連合国側にとっては「戦勝75周年」。日本とドイツにとっては「敗戦75周年」。

konvert.jpg

私が子供の頃は、まだ戦争の跡が時々感じられた。観光地に行くと、白い布でできている兵隊さんの服を着たおじさんがいたりした。両親からは、戦争中はどんなに大変だったかという話をよく聞かされた。夏休みに市の体育館で『猫は生きている』という人形が演じる映画を見た。

戦争というのはおそろしいものだから、もう二度と起こらないのだと子供の頃には思っていたが、そんなことはなかった。世界のあちこちで戦争はなくならなかった。

子供の頃は、戦争中の日本がどんなに大変だったかということにしか目がいっていなかったのだが、他の国々も大変だったのだと、あとになって知った。

ベラルーシでは、人口の四分の一の人々が亡くなったという。男の人たちが戦争に行ってしまっている村にドイツ軍がやってくる。村中の人々が、赤ちゃんから老人まで、一つの家に閉じ込められる。そして家の周りに火が放たれる……。

1941年9月8日に始まり1943年1月18日まで続いたレニングラード封鎖で、亡くなった人の数は100万人以上と言われている。空襲だけではなく、飢えと寒さで亡くなる人も多かった。

戦勝記念日のことを、ロシア語では「День Победы」と言う。この文字の並びを見ていて、あっと思った。「победа(勝利)」という言葉の中には「беда(不幸)」がある!

アンドレイ・ネクラーソフ(1907ー1987)の中編小説に『Приключения капитана Врунгеля(ヴルンゲリ船長の冒険)』というのがある。ヴルンゲリ船長の船は「ПОБЕДА(勝利)」と名付けられるのだが、出航の時に最初の二文字が外れて「БЕДА(不幸)」になってしまうらしい。この小説には悪者役として日本人も登場するとのこと。アニメーション映画や、この小説の人物が登場する映画もある。面白そうなので、読んでみようかな。


Приключения капитана Врунгеля (Russian Edition)


日本語訳も出ていて『ほらふき船長航海記』という題名(えっ、ほらふきなの!?)


ほらふき船長航海記 (ジュニア・ライブラリー)



ほらふき船長航海記〈上〉 (1980年) (フォア文庫)



ほらふき船長航海記 下 (フォア文庫)


サンクト・ペテルブルグ(ソ連時代のレニングラード)に Парк Победы という名前の公園がある。直訳すると「勝利公園」だが、大祖国戦争(第二次世界大戦中のソ連とドイツとの戦いを、ロシア語ではこのように呼ぶ)の勝利を記念してこの名前がつけられたので、日本語では「戦勝公園」あるいは「戦勝記念公園」といった感じか。

この公園には、大祖国戦争で活躍した人々の像や国民の勇敢さを称える像が並んでいる。緑豊かで大きな池がいくつかあって、様々な水鳥たちが暮らしている。貸しボートや小さな遊園地もあり、夏には池のほとりで水着姿の人々が日光浴をする。冬にはスケートもできる。平和で穏やかな公園である。

park.JPG

かつてここには煉瓦工場があった。レニングラード封鎖の時、亡くなる人があまりにも多く、従来の方法では対応しきれなくなったので、ここの煉瓦工場が火葬場として使われることになった。遺灰は煉瓦用の土を掘ったあとの穴に葬られた。この穴が現在は池になっている。

Парк Победы という勇ましい名前の裏側には、多くの人の不幸があった。

誰かが勝ったら、誰かが負ける。戦争で国が勝利しても、自国敵国の両方に多くの不幸が生じる。「победа(勝利)」はいつも「беда(不幸)」を抱えている……というのは私の妄想であって、「победа」と「беда」は語源から考えると関係はないらしい。

победныйという形容詞には二種類あって、一つは победа を語根にしたもの、もう一つは беда を語根にしたもの。不幸な方の победный については「民話詩・方」と辞書に書かれている。

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posted by ごー at 08:39| Comment(0) | ロシア語 | 更新情報をチェックする

2020年06月17日

集中豪雨とゴスチーヌィ・ドヴォール

夫が突然、「fontanka.ru(サンクト・ペテルブルグのニュースサイト)を見て」と言うので、言われるままにそのページを開いた。そして、その中のある記事を見て、と夫が言う。

Бассейн в Гостином дворе и тонущая машина. Показываем, как Пушкин оказался в эпицентре грозы
https://www.fontanka.ru/2020/06/16/69318295/

夫「ゴスチーヌィ・ドヴォール(サンクト・ペテルブルグの中心地にあるショッピングセンター)が大変なことになっているぞ!」

記事内の動画には、水浸しになったお店の様子がうつっている。本当に大変そうだ。

しかし、見出しをよく見ると「как Пушкин оказался в эпицентре грозы」と書かれている。もしかして、プーシキン(ペテルブルグ郊外にある町。エカテリーナ宮殿がある)にもゴスチーヌィ・ドヴォールがあるのではないか?

そのような疑問を夫に投げかけると、夫は「ゴスチーヌィ・ドヴォールといえばネフスキーのに決まっている」と言う。

Wikipediaを見たら、プーシキンにもゴスチーヌィ・ドヴォールがあるということがわかった。

Гостиный двор (Пушкин) — Википедия

ところで、日本語版 Wikipedia「ゴスチーヌイ・ドヴォール」の説明の中に『直訳すると「商人の宿」の名のとおり』とあるのが気になった。гостиный は гость(客)を形容詞にしたものだから、だから「客の」ではないの?

ゴスチーヌイ・ドヴォール - Wikipedia


そこで、研究社露和辞典で「гость」の項目を見る。
3番目に「(昔の)商人⦅主として外国人の ⦆」とある。なるほど!

「двор」が「宿」となるのはよくわからない。昔の гостиный двор には商人たちのための宿泊施設もあったようだけれど。

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posted by ごー at 06:16| Comment(0) | ロシア語 | 更新情報をチェックする