今年は、第二次世界大戦での連合国側にとっては「戦勝75周年」。日本とドイツにとっては「敗戦75周年」。

私が子供の頃は、まだ戦争の跡が時々感じられた。観光地に行くと、白い布でできている兵隊さんの服を着たおじさんがいたりした。両親からは、戦争中はどんなに大変だったかという話をよく聞かされた。夏休みに市の体育館で『猫は生きている』という人形が演じる映画を見た。
戦争というのはおそろしいものだから、もう二度と起こらないのだと子供の頃には思っていたが、そんなことはなかった。世界のあちこちで戦争はなくならなかった。
子供の頃は、戦争中の日本がどんなに大変だったかということにしか目がいっていなかったのだが、他の国々も大変だったのだと、あとになって知った。
ベラルーシでは、人口の四分の一の人々が亡くなったという。男の人たちが戦争に行ってしまっている村にドイツ軍がやってくる。村中の人々が、赤ちゃんから老人まで、一つの家に閉じ込められる。そして家の周りに火が放たれる……。
1941年9月8日に始まり1943年1月18日まで続いたレニングラード封鎖で、亡くなった人の数は100万人以上と言われている。空襲だけではなく、飢えと寒さで亡くなる人も多かった。
戦勝記念日のことを、ロシア語では「День Победы」と言う。この文字の並びを見ていて、あっと思った。「победа(勝利)」という言葉の中には「беда(不幸)」がある!
アンドレイ・ネクラーソフ(1907ー1987)の中編小説に『Приключения капитана Врунгеля(ヴルンゲリ船長の冒険)』というのがある。ヴルンゲリ船長の船は「ПОБЕДА(勝利)」と名付けられるのだが、出航の時に最初の二文字が外れて「БЕДА(不幸)」になってしまうらしい。この小説には悪者役として日本人も登場するとのこと。アニメーション映画や、この小説の人物が登場する映画もある。面白そうなので、読んでみようかな。

Приключения капитана Врунгеля (Russian Edition)
日本語訳も出ていて『ほらふき船長航海記』という題名(えっ、ほらふきなの!?)

ほらふき船長航海記 (ジュニア・ライブラリー)

ほらふき船長航海記〈上〉 (1980年) (フォア文庫)

ほらふき船長航海記 下 (フォア文庫)
サンクト・ペテルブルグ(ソ連時代のレニングラード)に Парк Победы という名前の公園がある。直訳すると「勝利公園」だが、大祖国戦争(第二次世界大戦中のソ連とドイツとの戦いを、ロシア語ではこのように呼ぶ)の勝利を記念してこの名前がつけられたので、日本語では「戦勝公園」あるいは「戦勝記念公園」といった感じか。
この公園には、大祖国戦争で活躍した人々の像や国民の勇敢さを称える像が並んでいる。緑豊かで大きな池がいくつかあって、様々な水鳥たちが暮らしている。貸しボートや小さな遊園地もあり、夏には池のほとりで水着姿の人々が日光浴をする。冬にはスケートもできる。平和で穏やかな公園である。

かつてここには煉瓦工場があった。レニングラード封鎖の時、亡くなる人があまりにも多く、従来の方法では対応しきれなくなったので、ここの煉瓦工場が火葬場として使われることになった。遺灰は煉瓦用の土を掘ったあとの穴に葬られた。この穴が現在は池になっている。
Парк Победы という勇ましい名前の裏側には、多くの人の不幸があった。
誰かが勝ったら、誰かが負ける。戦争で国が勝利しても、自国敵国の両方に多くの不幸が生じる。「победа(勝利)」はいつも「беда(不幸)」を抱えている……というのは私の妄想であって、「победа」と「беда」は語源から考えると関係はないらしい。
победныйという形容詞には二種類あって、一つは победа を語根にしたもの、もう一つは беда を語根にしたもの。不幸な方の победный については「民話詩・方」と辞書に書かれている。
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https://kotobanobenkyo.seesaa.net/article/475914736.html勝利と不幸